東京都浅草黒船町に生まれる。小学校卒業後京都へ移り図案家に弟子入りする。そのかたわら日本画を学ぶ。18歳で東京に戻り、印刷図案や玩具の絵付けをしながら仕事を探し、1920年挿絵画家として講談雑誌からデビューし、生計をたてる。その後伊東深水に師事する。吉川英治「鳴門秘帖」、川口松太郎「蛇姫様」等あらゆる雑誌や新聞、時代小説、現代小説等一世風靡し、昭和時代が生んだ挿絵画家の第一人者として、50年余りに亘って大衆を魅了し続けた。
昭和29年菊池寛賞受賞・昭和36年紫綬褒章をうける。
1974年73歳東京都信濃町の慶応病院にて脳出血のため死去。